http://bemil.chosun.com/nbrd/bbs/view.html?b_bbs_id=10101&num=61より

●とある韓国人
強運艦雪風ハ沈マズ
 太平洋戦争を生き延びた奇跡の駆逐艦雪風

 彼女ほど過酷で数奇な運命をたどった艦を私は知らない。
 彼女の名は雪風。
 大日本帝国海軍の陽炎型駆逐艦の8番艦として産まれた。
 一番酷使された甲型駆逐艦で太平洋戦争を生き延びた艦である。



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 駆逐艦雪風は1940年に就役した。
 太平洋戦争では、主要な海戦に参加し、危険な任務を多く務めた。
 主力駆逐艦(白露型駆逐艦、朝潮型駆逐艦、陽炎型駆逐艦、夕雲型駆逐艦、丙型島風)約60隻の中で、唯一終戦まで生き残ったのは彼女だけである。

 僚艦のほとんどは、太平洋の藻屑となったが、彼女は圧倒的な米軍の攻撃に耐え、太平洋戦争を生き延びた。

 しかし、彼女の戦いはなお続いた。太平洋戦争後も過酷な人生が続いた。
 戦後、彼女は蒋介石の中華民国の海軍に引き渡され、約20年も勤めを果たした。
 そして、1970年に大変長い生涯を閉じたのである。

 雪風の仕様は以下のとおりである。
 総トン数:2,490トン
 速度:35ノット
 乗組員:240名
 武装
  50口径三年式12.7cm連装砲:3基
  九六式25mm連装機銃:2基
  九二式61cm四連装魚雷発射管:2基(九三式魚雷16本)
  九四式爆雷投射機:1基
  爆雷投下台:6基
  爆雷:18乃至36個
  
  
 
 彼女は、当時最新鋭の陽炎型駆逐艦の8番艦として就役した。
 開戦当初、海軍の期待からその活躍を期待さていた。そのため、彼女の姉妹たちは過酷な任務に投入された。そして、彼女の姉妹たちは散っていった。
 19隻あった陽炎型で、太平洋戦争を生き延びたのは雪風のみだった。




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 これは、日露戦争で活躍した英国製の東雲型駆逐艦陽炎。
 喫水線より上が低くて、船首が丸っこい。
 これに比べると、雪風は大型化している。
 反り上がった高い艦首が印象的で、これが帝国海軍の駆逐艦って感じがする。
 それは、日本近海の荒波でも安定した航海するためらしい。

 雪風は、太平洋戦争が始まると、飛田健二郎中佐の指揮下、フィリピン侵攻作戦に参加し、その後、スラバヤ沖海戦から大和特攻まで16回以上の主要な作戦に参加した。

  インドネシア侵攻作戦、スラバヤ沖海戦、ミッドウェー海戦、サンタクルス海戦、ガダルカナル海戦、マリアナ沖海戦、レイテ作戦、大和特攻作戦等の多くの作戦に参加した。

 多くの僚艦が撃沈される中、彼女はいつもほぼ無傷であった。
 連合軍の一方的な虐殺ともいえる、ダンピールの悲劇でも生き残り、ラバウルまで2往復して多くの生存者を救出した。
 彼女は最も多くの味方を救助した艦かもしれない。


 1944年のレイテ作戦でも日本の主力艦隊に参加した。
 その後、信濃の試験航行の護衛に就くが、信濃は米潜水艦の攻撃により、雪風の目の前で沈没した。

 その後も、日本の輸送船団の護衛に任務に就き、連合軍航空部隊の攻撃を幾度も受けてきた。

 太平洋戦争中、雪風の艦長は5人交代した。その間に主要な8海戦に参加した。

 終戦間近、艦長でも不死鳥(?)の異名をもった者がいた。大和特攻作戦で、矢作の艦長を務めた原為一大佐である。
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 原為一の指揮する艦は沈まないと言われていた。
 しかし、原為一大佐の指揮する矢作は大和特攻作戦で、米海軍の航空機攻撃により撃沈した。ただし、原為一大佐は救助され終戦まで生き延びている。

 戦艦大和と共に出撃した10隻の護衛艦の内6隻が沈んだ。それでも雪風は沈まなかった。

 大和特攻作戦後、制空権を失った状態では出撃する機会がなかった。雪風は呉軍港の対空砲台として使われた。

 雪風は幸運艦として有名だった。だから、連合艦隊司令部は、大和特攻作戦に彼女を参加させたのだと私は思う。彼女の幸運で大和は沖縄までたどり着けるかもしれないと期待したのではないだろうか?
 しかし、雪風と行動を共にした比叡、金剛、信濃、大和は全部沈んでしまった。



 雪風のように幸運艦として有名な艦が他にもあった。
 時雨である。

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 雪風は呉を母港とし、時雨は佐世保を母港としていた。

 両艦は「呉の雪風、佐世保の時雨」と並び称されていた。

 しかし、時雨もまた終戦を見ることなく、1945年1月に米潜水艦の攻撃により沈没した。


 戦後、雪風は武装を外され、復員兵や引揚者の輸送任務に就いた。
 1946年12月28日まで15回の復員輸送任務を遂行し、1万3千人以上を運んでいる。その中には後に漫画家として有名となる水木しげるもいた。彼の作品『駆逐艦魂』に出て来る駆逐艦「旋風」は、あきらかに寺内艦長時代の「雪風」である。

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 復員輸送する雪風。名前がアルファベットにされている。

 復員輸送の任務を終了した彼女は、1947年に蒋介石の中華民国に譲渡され、上海へ送られた。

 乗組員たちは最後まで入念に整備を行い、連合国側から「敗戦国の軍艦でもかくも見事に整備された艦を見た事が無い。まさに驚異である」と感嘆された。

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 譲渡される直前の雪風。

 ラッパは日本が開発したレーダー(22号?)である。
  
 中華民国に引き渡された後、雪風は丹陽と改名し、再び軍艦として就役した。

 中国海軍は、不死鳥雪風として最大の敬意を彼女にはらったと言われている。

 丹陽は、中国南部の大都市の名前である。実は、陽炎型の陽の字に掛けて名づけられたとも言われている。

 中華民国海軍でも中国大陸封鎖作戦等の戦闘に参加し、20年以上軍役に就いていた。
 その後、1964年12月に行われた観艦式では雄姿を見せたが、機関の老朽化によって1965年12月16日に退役、1966年11月16日付で除籍された。

 雪風退役のニュースを聞いた日本の旧乗組員は、中国政府に彼女の返還を求めた。しかし、台風による浸水で損傷した為、雪風が日本に帰るのは不可能であった。
 1970年に雪風は解体された。雪風は数奇で過酷な生涯を閉じたのである。

 その後、雪風のアンカーとスクリューは日本へ帰ってきた。そして、今でも江田島に居る。
 
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 戦後日本の米国統治が終わり、日本に自衛隊が誕生した。

 そして、新生日本は、再び、駆逐艦を建造した。

 最初に推進した二隻の駆逐艦は”はるかぜ”と”ゆきかぜ”と命名された。

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●とある韓国人
 
「無責任艦長タイラー」は雪風の伝説的な艦長をモチーフにして作られたらしいよ。
 雪風でも艦長と乗組員が友達のように接し、艦内で一緒に麻雀やったり宴会やったりと、なんでもありの状態だったそうです。それでも、艦の整備を練度、士気が高かったそうです。だから、太平洋戦争を生き延びたのだと思う。
 信じられない戦果を挙げ、日本で最も多くの仲間を救助している。また、どの作戦でも積極的に行動し、それが、幸運につながったのだと思う。
 これもすべて、チームワークが良かったからだ。
 海外でも雪風を紹介しているサイトが多いから、いろいろ調べると面白いよ。もっと日本語が上手くなったら、日本のサイトを回ってみたい。そしたら、もっと雪風のエピソードを知ることができそうだ。
 日本では有能な駆逐艦の艦長は、海軍では出世しないのが伝統ですよね。

●とある韓国人
 宇宙戦艦ヤマトでも雪風が出てきますね。最後まで敵艦隊に抵抗していたのが印象深い。
 戦闘妖精雪風もそうですよね。きっと雪風がモチーフになってる。
 最近の ヤマト2199でも雪風が大活躍でしたね。
 最近のアニメでは、日本の軍国主義の香りが満載です。 


●とある韓国人 
  戦闘妖精雪風が所属するSAFの信条が「たとえ味方が撃墜されたも参戦せず、ひたすら敵の情報を収集して、必ず帰還せよ」でしたね。一回の任務で、たとえ、味方が全滅しても必ず帰ってくるのは、駆逐艦雪風(死神)のようだ。


●とある韓国人
 雪風に興味が出てきた。

●とある韓国人
  運以上に、指揮官と乗組員が優秀だったのでしょう。


 【奇跡の駆逐艦】 雪風