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第二次世界大戦で、西側諸国が様々な新兵器を開発したのは広く知られている。しかし、同じとき、日本は軍事技術の開発に苦心していた。ここで、日本が第二次世界大戦で開発した11の軍事兵器を紹介する。

1905年にロシアは日本に歴史的な大敗を喫した。そして、日露戦争でロシアに勝利した日本は、大国の仲間入りを果たした。第一次世界大戦では、日本は連合国軍として参戦し、その後、ベルサイユ体制に参加した。これにより、日本は、太平洋地域での影響力を大きくした。1930年に、日本は。ドイツで台頭したナチスドイツと結託し、欧米諸国に対抗した。そして、米国と太平洋の覇権を争い破滅した。 

日本は、アメリカに対抗するために、工業力・科学力の発展に力をいれていた。そして、優れた通常兵器、特殊な自爆兵器そして、生物化学兵器を開発した。大日本帝国軍は、ジュネーブ協定をまったく顧みなかった。そして、実際に彼らは禁止された兵器が有効だと考えていた。

大戦中に、日本は数百まではいかないものの、数十の非常に先進的な兵器を開発し、実際に戦場で使用した。その中でも知っておくべき11の兵器を以下に挙げる。

1.ふ号兵器(風船爆弾)
 ナチスが英仏海峡を飛び越えるV2ロケットを開発したように、日本もまた独自の復讐兵器を開発した。日本には大陸弾道弾を開発する技術がなかったため、軍の技術者は、風船で爆弾を飛ばすアイデアを思いついた。

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日本人は風船をジェット気流に乗せて5000マイル以上離れた米国に焼夷弾を飛ばした。アメリカの西海岸の森林に落下した焼夷弾により森林火災が発生し、米国の貴重な労働力が消火活動で消化された。

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 1944年11月5日に最初の風船爆弾がカルフォルニアのサンペドロで確認された。そして次の日、ワイオミング州のサーモポリスでも確認された。また、同時期にカナダにも多数の風船爆弾が到達した。全部で285初の着弾が確認された。その中で、1945年5月5日、オレゴン州ブライで不発弾に触れたピクニック中の民間人6人(女性1人と子供5人)が爆死した。
これは、アメリカ国民がパニックになるのを防ぐために、風船爆弾についての報道をアメリカ政府が禁じたからである。アメリカ国民が風船爆弾のことを知ったのは戦後である。

2.潜特型潜水艦
 日本は、史上最大規模の三隻の潜水艦を建造した。この潜水艦で西海岸をおろか、パナマ運河の攻撃を日本軍は計画していた。
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 潜水艦は弾頭火薬800㎏の魚雷を装備し、さらに水上攻撃機晴嵐を3機搭載していた。これらの飛行機は機密格納庫に収容されていた。飛行機は正面のカタパルトから発射され、機体は約45分で組み立てられ、発進できた。
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 この潜水艦は、ドイツの潜水艦のようにレーダーやソナーに映りにくい分厚いゴムで覆われたシュノーケルを装備していた。作戦行動中に戦争が終結したため、この間が実際に攻撃機を発進させることはなかった。1946年にハワイ沖で沈められた伊-400が昨年発見され、ニュースになった。

3.731部隊と生物兵器
 日本軍は1937年から終戦まで、枯葉菌爆弾(枯葉剤の前身)やペスト菌を拡散させるためのノミ爆弾等の生物兵器の実験を行っていた。極秘の生物兵器開発部隊731部隊だ。天然痘、コレラ、ペスト、ボツリヌス菌等の人体実験を行っていた。そして、これらを貯水池や井戸水等の飲料水にまぜたり、爆弾で拡散させたりする実験をおこなっていた。
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カリフォルニア州立大学の歴史学者シェルドン·H·ハリスによると、20万人以上の中国人が、細菌戦で殺されたといわれている。また、戦後、ペストに感染した動物が放たれたために、1946年から1948年にハルビンでペストに感染して3万人以上が死亡した。これらの数字については、日本の学者が異論を唱えているが、多分正確だろう。

 歴史家のアントニーバービーは日本が風船爆弾に生物兵器の搭載を検討していたと指摘している。また1945年には、神風パイロットをつかって、サンディエゴでペスト菌に感染したノミを拡散させようとした。

 戦後731部隊は、アメリカに生物化学兵器の研究成果と引き換えに赦免された。日本は第二次世界大戦中に化学兵器を使用した唯一の国です。

4.伏龍アタックスーツ
  連合国軍の本土上陸に対抗するために、日本軍は特殊な潜水服を作成した。潜水服は、先に15㎏の爆弾が付けられた長さ5mの竹やりが装備されていた。
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 この潜水服は重さ9㎏の鉛の重りがつけられ、深さ5m~7mの海底を約6時間歩行できた。ダイバーは敵の船の下まで来ると、爆弾により船を攻撃した。攻撃が成功したら、機雷棒の爆圧によりダイバーは致命傷を負い、絶対に助からなかった。 実際の戦闘に使用されることはなかったと記録されている。しかし、歩兵上陸用舟艇や測量船が、この潜水服によって攻撃されたとの報告がある。

 5.パープル暗号
  第二次世界大戦でもっとも有名な暗号化装置はナチスドイツが使ったエニグマである。しかし、第二次世界大戦で使われた暗号化装置はこれだけではなかった。1937年、皇紀2597年、日本は九七式欧文印字機を開発した。
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  この暗号器は二つのタイプライターとアルファベットの配電盤と電気ローターから構成されていた。エニグマの影響から影響を受けたこの暗号機は、手動により平文を暗号化できた。そして、最も革新的な部分は暗号文をタイプできたことである。したがって、日本人は暗号化に必要な人員は一人であった(エニグマはライトの点滅によりテキストを示したため、暗号化には人員が二人必要だった)。また、日本人は暗号鍵を毎日変更したため、暗号の解読がほぼ不可能であった。暗号機によって生み出される暗号の組み合わせは70兆いじょうであった。

6.MXYー7  神風機 桜花
  戦争末期、日本は神風アタック技術を洗練させていった。そしてとうとう神風専用機の開発を行った。それが1944年9月に完成したロケット推進機MXY-7桜花である。桜花を開発するにあたって、日本は資源が枯渇していたために、機体を簡素化した。

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 実戦では、桜花は一式陸攻の下に取り付けられ、作戦空域まで輸送された。そして、作戦空域に到達すると、桜花は切り離され、パイロットは目標に向かって飛ぶよう桜花を滑空させた。

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 桜花は先端に2643ポンド爆弾を装備し、対空砲火をぬって目標に急接近した。滑空して急接近する桜花を迎撃するのはほぼ不可能であったが、一式陸攻で運ばれる途中は極めてぜい弱だったため、アメリカ軍は輸送途中の桜花の迎撃をおこなった。また、このロケットは極めて操縦性が悪く、狙った目標に到達するのは困難であった。しかし、日本軍はこの機体によって少なくとも駆逐艦を一隻撃沈する戦果を挙げている。

7.三菱J8M秋水ロケット迎撃機
 これをMe163だと思った人は正解だ。
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 J8Mはナチスドイツ戦闘機のライセンスコピー機だ。Me163を積んだ潜水艦が日本へ向かう途中に撃沈されたため、日本にMe163 の完成品が届くことはなかった。しかし、日本人が手にしたのは数枚のマニュアルと写真だけだった。日本人はこれらの情報からリバースエンジニアリングしたのである。

 ヨーロッパでの連合国軍の空爆の情報を得ていた日本は、迎撃兵器の開発に積極的であった。日本の軍部は、本土が爆撃されることをおそれていた。B-29 は、日本戦闘機の限界高度のさらに上を飛行したため、日本はMe163の可能性を信じて開発を行ったと考える。

 日本は、見本がないにもかかわらず、試作機を完成させ、終戦直前の1945年7月7日に飛行テストを行たった。しかし、最初のテストで事故が発生し、パイロットの犬塚大尉は死亡した。その後試作機が6機作成されたが、終戦前に飛行することはなかった。

 また、これと同じ系統にロケット迎撃機神龍がある。
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8 超重量戦車オイ
 日本には戦車がなかったと思われているが、日本も97式中戦車チハに代表されるようになかなかいい戦車をもっていた。しかし、戦争末期には、太平洋戦線で使うための超重量級戦車の開発にのりだした。
 
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 これらの戦車は重量が100~120トンで、乗組員が11人必要だったとされ、かなり巨大な戦車だったと思われる。車内は人が楽に立って歩けるほど広く、また操縦室(前部)・戦闘室(中部)・機関室(後部)の3つに分かれ、16mmの鋼板の隔壁で仕切られていた。主砲は105mm加農1門、副砲に75mm砲1門、7.7mm機関銃(九七式車載重機関銃)1挺、主砲弾弾は百発以上を装備する予定であった。砲塔リングギアは直径2,000mmであった。この戦車は満州にあったとされるが、実戦で使用されたかは分かっていない。

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9.ク号兵器
 各国と同様に日本もまた殺人光線の開発に積極的だった。エネルーギービームにより数マイル離れた航空機を撃墜しようとしたのだ。戦後このアメリカ軍が押収した文章によると、1939年に登戸の研究所で殺人光線の研究がはじまった。研究者は、放射線ビームを生成する高電力マグネトロン管を開発した。友永一郎の研究チームは定格100kwの直径20センチのマグネトロン管を開発した。これは科学的に本当か疑問である。
これが本当だと、千ヤード離れた場所にいるウサギを殺せることになる。しかし、ウサギを殺すには5分以上必要だ。 

10.飛行戦車
 第二次世界大戦で日本が直面した問題の一つは、島から島への戦車のようは重器の輸送だ。そこで、日本人は、戦車を飛ばそうと考えた。空挺戦車である。
 
 取り外し可能な尾翼と主翼により軽戦車を飛ばそうと考えた。そして着陸用にソリをつけた。97式重爆撃機による輸送で輸送し、目的日切り離して滑空させる計画だったようだ。
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  日本は特三号戦車クロや前田ク6等の試作機を開発した。

11.超重爆撃機Z
 ナチスドイツのように日本もまた、大陸間飛行爆撃機の開発を行っていた。戦争末期、日本はB-29のような爆撃機が欲しくてたまらなかった。1941年に、日本海軍は実験的に4発の13試攻撃爆撃機を開発した。千ポンド爆弾を二つ搭載して、高度32800フィートを飛行可能だったが、軍はより大きくより高速の飛行機を望んだ。
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 日本陸軍は、中島G10N富嶽(上の写真)のような翼長が237フィートで、全長が144フィートの巨大なデザインを望んでいた。これは、5000馬力エンジンを6基搭載し、25000フィートを毎時590キロで飛行する計画であった。そのために中島飛行機は、ハ44エンジンを36気筒エンジンに改造しようとした。しかし、戦況の悪化にともない1944年に計画は中止された。

 
とある外国人
 面白い記事だね。日本の兵器は工業力の違いから性能が良くなかったかもしれないけど、そのアイデアだけは米ソ以上だね。大量生産できなくってよかったよ。
 しかし、飛行戦車のアイデアでは、ロシアも失敗しているよね。

 チハは、米国とソ連が新型車両をだすまでは、当時もっとも洗練されたデザインの戦車だよね。

とある外国人
 ドイツ人が秘密兵器を開発していたのは有名だけど、日本人も開発していたんだね。秘密兵器はロマンだよね。

とある外国人
 潜水艦から飛行機が発進するなんてかっこよすぎる。

とある外国人
  日本は、原爆の開発までしていたから凄いよね。

とある外国人
 チハは良いものだ。 
  1939年に開戦していたら、チハ無双だっただろうね。
  1941年の時点では、チハの装甲は濡れた段ボールになってしまたけどね。

とある外国人
  開戦当初、日本軍は最も先進的な飛行機を保有していたのは興味深いよね。
 
とある外国人
 開戦当初ゼロ戦は、最強の戦闘機だったけど、終戦時には時代遅れになっていたね。
 アメリカは、捕獲したゼロ戦を徹底研究して、その技術を取り入れたらしいよ。

とある外国人
 アメリカの航空機は重装甲で、ガソリンタンクに防護ゴムまで張っていて、小回りが利かなかった。これが、ゼロ戦に大きなアドバンテージを与えた。しかし空中戦に関する研究を行いゼロ戦の弱点を見つけた。
空中戦はハードじゃないよ。技術を運用だ。

とある外国人
 神龍かっこいい。
 これ系のデザインに惹かれる。
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とある外国人 
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じゃあこれだ!

とある外国人 
 日本人が、自国の戦艦や戦闘機を誇りを持っていますよね。宇宙戦艦ヤマトやザコクピットで第二次世界大戦中の兵器が活躍するのが面白い。アルペジオのI-400とか